引越しして、再度ヤマハに戻る
親の転勤で、一時的に習っていたテクニトーンもやめ、
再度、ヤマハに戻ります。
個人レッスンへ
下のレベルのクラスに入ったこともあり、少し抜きん出ていた存在だったようです。しかも、6人の中で男一人だったこともあり、半年で個人レッスンになりました。小4の時点では、そのセンターでは自分より上級の
発表会でも目立ちました。燻っていた時期を除いて、
店別大会にはいつも選考されていましたし、
そういう意味では大きな期待を背負っていたようでした。ただ、店別大会で金賞を取って、しかもその上の地区大会に行くにはなかなか簡単ではなかったですね。
金賞2度、地区大会へは1度だけ
だったと思います。
エレクトーンでの挫折
それまではそれなりに練習すればできていたのが、
もともと、表現力に乏しいとは言われていましたが、これも
明らかな練習不足、
アレンジや作曲ともなると、エレクトーンに割く時間をもっと増やさなければならないのに…できていないままレッスンに行って、なかなかレッスンが捗らない期間もありました。
で、練習時間は増やすようになったものの、アレンジとか作曲に向かおうとしても、やる気も起きず、とって付けたような楽譜を書くだけ書いて、何も考えられてない、と怒られるのが苦痛でした。
まともに練習してないのは先生にも明らかだったでしょう。
3度のやめる宣言
思うようにエレクトーンに向かえない時期になって、
と宣言したことがあります。
中1、中3、高1のとき、3回だったと思います。中1、中3のときはやめなかったから3回目があるわけで、
実際には3回ともやめていません。
正しくは、やめさせてくれなかった
ということですね。先生が引き止めてくれたというか、手綱を緩めて、もう少し様子を見てみようということだったのでしょう。センターとしても貴重だったのかもしれません。まだ延びしろがあると思われたのでしょうか。それはそれで光栄なことです。
高校卒業して、やむ無くエレクトーンをやめたというのが、今になってエレクトーンに向き合うようになった大きな要因だったような気がしてなりません。
練習時間確保の難しさ
ヤマハをやめる節目は、
時間との兼ね合い、特に勉強との兼ね合い
が大きいと思います。実際に自分の歴史を振り返ってみても、勉強の忙しくなる時期、受験前の時期で、勉強を優先しないといけない事情が大きくなったときですね。
ここ、結構大事なところです。
時間がないと思ってしまっては抜け出せないところ。長く続けるコツがあるんです。そこに行き着くまでは、自分としても時間がかかりました。
…まだ続きます…